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いつものユンボ

僕は考える

雑記

人間の脳は外敵への対処対応に迫られて大きくなったのではなく、

むしろ同じ人間同士の縄張り争いや社交のために大きくなったと言う。

特に脳の肥大化に影響を与えたのは言葉を発することで、

ここが猿と違うために人間の社会は複雑になった。

そしてその複雑さに対するために知能を得たのだそうだ。

 

この人間の社会を最大限に活かすためには、

人間関係を穏便に効率よく成り立たせなければならない。

それを成立される機能が同情だ。

同情は人間だけに与えられたものではない。

仲間のために葬式をする動物がいるし、仲間の死に心を痛めて食欲を失う動物もある。

他者の痛みを己のモノとして扱う動物は多い。

ある程度脳が発達した動物の集団が集団として機能するためには、同情が必要なのだ。

 

ここからは推論で、ふと思ったことがある。

他者への同情は果たして同じ種族に対するものだけだろうか。

もちろん違う。子どもを亡くした肉食動物が、

その悲しみから迷子の草食動物を育てようとしたり、

人がペットの動物を飼ったりと、同情は他種にまで及ぶ機能だ。

この同情の機能を誤魔化すものがなければ、

生き物は別の生き物を捕って食い殺すことが出来ないのではないか。

 

それが味覚なのかも、と思った。

舌は当初は食べるモノが自分の体に毒であるか否かを定める機能であっただろうが、

生物は進化してきた。

集団生活を行う生き物と、そうでない生き物の味覚の違いを調べると、

毒を判別する以外の理由が見付かるかも知れない。ただの推測だが。

 

推測のまま推論を進めるが(私はそれが大好きなので)、

味という快楽で同情の機能を誤魔化すことが出来なければ、

同情の機能が多大なストレスを与えてくる。

自分の命が大切なように、食われるほうの命を考えられないのかと。

そう考えれば、

快楽の後ろには何らかの誤魔化しが常に隠れているような気がしてならない。

味覚は他者を食い殺す免罪に、性欲は生みの苦しみも、生ませる苦しみも忘れさせる。

 

もし味覚が発達せず、同情の機能ばかりが進化していれば、

人間はどんな生き物をも殺さないための研究と開発を進めただろうか。

いや、そんな生き物すぐ絶滅するな。

 

美味い、気持ち良い、に生き物は大変助けられているのかも知れない。

ストレスを受けた時に暴飲暴食に走る人は、

その防衛的なストレス緩和に繋げようとしているのかも。

 

動物を屠殺して料理する時に、せめて美味しくしてやろうというのを

度々聞くけれども、以上のように考えると理に適っている気がする。

美味ければ美味いだけ殺したことは気にならない。

動物の中で一番料理が上手いのは人間で間違いないと思うが、

言い換えれば、人間が一番食べるという罪悪「感」を誤魔化しているということだ。

もう一つ言い換えれば、人間の同情が一番深いということだろう。

 

そりゃそうか。