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いつものユンボ

僕は考える

性の問題への根本的アプローチ

私は慎重な質なので、社会問題のニュースを見れば、その問題をどう扱うべきか、何を犠牲にして何を得るべきだろうかというようなことは、自分なりにだが見えてくる。

環境問題、移民問題、教育問題、人権問題、医療問題、食糧問題。

社会問題は多々あるが、実際の現場を差し置いてという範囲であればどうあるべきかは見える。それは多くの社会問題の治癒すべき根本が分かるからだ。

例え一記事の短い文章からでも、それぞれ「目下」何を問題として論じられているかが分かる。

 

ところが、いつも一つの社会問題だけは対処しかねて、自分のスタンスを出すことが出来ない。

 

それが性に関するの問題だ。

 

今日はこの問題について長々と考えていた。

そしてある結論へと達した。

 

 

性の問題の主たるところは男女平等、LGBTの二つかと思う。この性に関する問題は、上記のような社会問題とは一線を画しているのではないか。

考えたことの結論から言えば、

他の社会問題は具体的で、性の問題はそうではないからだ。

 

タンカーのオイルが流出して海が汚された、となれば、原因はオイルの移送システムであり、被害は海の環境と、それが及ぼす汚染資源の影響だとハッキリする。

移民問題にしても、教育問題にしても、原因と被害と影響は理解できる。

この理解出来る、という所が曲者なのだ。

 

社会問題の多くは生命に関するものだが、性の問題はそこに個人の問題を含んでしまう。これによって具体性を失うこととなる。

 

ここで性の問題を取り扱った動画を一本紹介する。

ソフィア・ジャウェド=ウェスル:
あなたの知らない 妊娠中の常識のウソ

The lies we tell pregnant women

www.ted.com

”通りすがりの人から下品な言葉が飛んできた経験のある方はいますか?

(観客が手を挙げて)女性ばかりですね。”

 

動画の頭でこのようなやりとりがある。

これを性の社会問題として扱うことこそ問題ではないか、と私は思う。

 

 

ひとまず動画内で紹介された「性問題」をいくつか並べる。

 

・男子生徒に品の無い言葉を投げられ、あとで当人が教授だと分かって謝りに来た

・商品に関連が無いのに女性の胸が強調された広告

・ディスコで股間を擦りつけてくるのを嫌がって殺害された女性

・メディアが女性を性的にモノ化している。映画で恋愛対象として出て来る女性はあまりにも画一的。

・妊婦が性行為をすることに多くが否定的。

 

 これらが述べていることは、女性が性的にモノとして扱われるような影響のある文化が、「様々な」問題を引き起こしている。ということだ。

 それらの解決のためには女性を性的にモノと扱わないようにすることで、本動画でも「息子たちには女性を対等に扱うことが大事だと伝えている」と述べている。

 

つまり、本当は「性の問題」というよりも、「個人のマナーの問題」なのである。

 

これは人種問題の一番根深い問題と同じではないかと思う。

 

人種問題の解決の根本は明確で、「生まれや肌の色に関わらず同じ人間として尊重する」ことだ。これに沿って、例えば労働条件などを人種を理由に不当に扱ってはいけない、と法的に定めることは容易だ。原因も、被害も、影響も、具体的である。だから社会問題として対処も可能だろう。

しかし人種問題はその根本に社会システムの問題を越えて「個人のマナー」を抱えている。いくら法的な保護を与えても、人々の意識が変わらなければ同じことだ。

表には出さずとも、うまく隠して法を抜けることだって出来る。

人は上手く噓をつくことが出来るが、同じほど見破ることは出来ない。

奴隷が解放されてもその扱いが中々向上しないのは、ルールでは完全に人心を変えられないからだ。

 

性の問題が尚更難しいのは、上記のようなルールが存在しないことだ。

人種を扱うルール、指針は

「生まれや肌の色に関わらず同じ人間として尊重する」であり、

これは「親密さに関わらないマナー」とも言え、最低限のマナーとも言える。

「私は○○人が嫌いだ」と口に出すのは差別的だが、「それなら関わらなきゃいい」と言って済ますことが出来る。

その○○人が面接に来たとして、採用担当をしていたら、合理的に評価し採用した上で、

しかしプライベートには関わらない、としてシャットアウトすることは、偏見には困ったものだが、理性的な選択として可能だろう。つまり「我慢してやる」ことだ。

 

ところが「男性が女性をモノとして見ずに人間関係を構築するためのマナー」は、その男性一個人の人間付き合いに言及している。言うなれば「高度なマナー」なのだ。

 そもそも女性をモノ化して見ている男性は、同じ男性に対してもマナーが悪いのではないだろうか。

動画内で「断りもせずに妊婦のお腹を触る」という問題が提示されているが、友人がそんなことをしてたら私は「一言断った方が良い」と言うだろう。……いや端からそんなことはしない。動画内で推奨された通り、「触ってみても良いですか?」と尋ねるだろう。

 

人種の偏見はどうしても感情的に離せないという場合にも、我慢させることは出来るだろう。しかし「人間付き合いを根本的に正せ」というのは非常に困難だ。

 

私は今存在する男女問題、性差問題を、セクシャリティとして取り扱うことこそ、レッテルや偏見を助長する形があるのではないかと睨んでいる。

(男女の雇用機会、昇級の問題、給与の問題などは性差の問題として扱えるだろうが)

 

女性をモノとして見ないというのは、性差別問題というより一個人の精神性の問題だ。

 

下品な言葉を投げてくる男性に「それは男女差別だ」と言って聞くだろうか。

私は甚だ疑問である。

 

その様な人物は「文化が助長する」ことで生まれると動画内では説明されている。

映画での恋愛相手のパターンを二つで、一つはすぐにセックスするような者と、当初は嫌い合っているが後々に仲良くなる者として出している。

 

だがそういった表現物がプロパガンダの様な効果を発揮するだろうか。

 

プロパガンダには怒りが必須である。

だが、映画に出て来る女性像は怒りからではなく理想から生まれたものだろう。

そんな女性が居るかも知れない、けれど居ないだろう、でも居るかも。というような距離の理想像である。これがプロパガンダとして成立するには、現実に女性と関わったことはないが、伝説の存在として映画の中で見続けて来た男、ぐらいしか居ないだろう。

 

それを「性的対象物としてモノ化する原因になるから止めろ」というのは、「好みを持つな」と言っているような気がしてならない。上で載せた動画では、「妊婦だからと言って嗜好を無視、拒絶することを止めろ」と述べているが、それと映画における理想的恋愛対象を語ることを否定するのは矛盾ではないだろうか。

自身の欲求を理解することを求めながら、相手の欲求の表現を否定するのは可笑しい。

 

同TEDの他の動画で、ニューヨーカーに載せる四コマ漫画の掲載可否を審査し続けたベテランの話がある。彼はどんなジョークも、100人中100人を笑わせて、且つ不愉快にさせないようなものは存在しないと語っていた。

私はどんな表現物も同じだろうと思う。とある映画で描かれた男性から見た女性の理想像も、必ず誰かは不愉快になるだろう。

 

だからこそ、そのような物を規制したところでマナーのなっていない人間は減らないだろうと私は考えている。

 

性の表現規制やルール決めで、個人のマナーが向上するとは到底思えない。

それよりも、マナーを得るために、各個人の幸福と満足とを与える方法に注視すべきだろう。

(裏を返せば、その被害を初めに被っているのが平均して男性より力の弱い女性や、多数であることが優れていると考える人にとってのセクシャルマイノリティの人であるということだが、真なる解決はそんな人々を攻撃する偏狭な人間と向き合うことだ)

 

だから女性問題と名付けるよりも、偏狭人問題と名付け、そんな人間に如何にしてマナーを学んで貰うか、ということが大切なのではないか、と考えた。

 

遠回りに思えるし、怨みも尽きぬだろうが、そんな偏狭な人間をどうやって救うかを考えることが、問題の根本を解決するのではないだろうか。