いつものユンボ

僕は考える

現代日本で着想は呪われた強み(ストレングスファインダー)

ここ数日はストレングスファインダーについての記事を続けて書いてきた。

 

強みに投資するこの考え方だが、

現在の教育制度と真っ向から合わない強みがあることに気付く。

 

私自身も持っている「着想」である。

 

着想は一貫性が無ければやる気が起きない。

儒教的精神に伴って暗記を重視してきた現在の学校教育とは相性が悪い。

基礎教養が大切であることは重々理解しているし、

世界屈指の識字率の高さは誇るべきだろうし、友人には教師も居るので、

彼らが良くやっていることは知っている。

 

だが着想家にとって一貫性の無い暗記仕事は力が出ない。

何かある度に「これが何になる」の言葉に苛まれる。

 

これが将来なんの役に立つのか、という生徒はよく居るが、

それが「本当の」疑問なのか、煙に巻いているのかは注意深く観察する必要がある。

 

単に面倒で、皮肉的に煙に巻こうとする者には「今困ってるだろ」と言えばいいが、

着想家には禁句である。そういう生徒相手には、むしろその教科の背景や、

それを学ぶ事で「実学」としてどんなことが出来るかを語るのが良いだろう。

出来ることなら、実戦させるのが良い。

着想家はアイデアマンだし、企画屋だ。

私自身もそうだから、実戦を伴う学習には大いにやる気が出ると分かる。

 

だから同じ着想家にも聞いてみたい。

彼らは美術と図工を嫌うことは無いハズである。

「目の前のモノを作る」という一貫性に守られているからだ。

そしてその目標へ向かってアイデアを広げる。

 (これを職業として選択する、という意味ではない。その選択にはまた、「それを職業としてどうする」という一貫性の問いが始まるからだ)

 

現在の画一的な教育には平等という利点がある。

だがそろそろ素質は平等で無いということに目を向けて良いのではないか。

と言ってもやはり、これを教育現場に持ち込むことは難しいだろう。

公職がどれほど立ち回りの悪い仕事で、どれほど禁止事項に溢れているかは、

友人伝手に学んでいる。

 

であれば、勉学に身の入らない子どもたち自身の素質を家庭で見抜くか、

個々人へのやる気の出し方をテンプレート化して、伝えるのが良い。

 

規則性の強みを持つ者には、今の学校制度は非常にマッチしていると思うが、

そうではない者たちにも、どうにか光りが当てられないものだろうか。

 

ひとまず、着想家たちに言えることは何よりも一貫性である。

「テストで点を取る」「良い点を取ったら褒美を与える」というのは悪手だ。

簡単な例で、数学でなら、

単に、2/3×2/3= と描かれるよりも、

「数字以外の物を使ってこれを表せ」という提案をされるほうが良い。

そうすれば「物で説明する」という一貫性と目的が生まれる。

これが着想家を安心させ、興味を抱かせる。

「正解を出して点を取れ」では、実は一貫性を提示してない。

そういう者たちには「点を取ってどうする?」と「感じさせる」。そうなれば終りだ。

点を取ってどうすると考え、良い将来のためだと言われ、

次は良い将来とは何かという疑問だ。そこで仮に良い将来を高給を取れる職につくことだと仮定しても、次に高給とはどれほどかとなり、高給を取れる職の内どれを目指すべきか、と際限が無くなる。

「良い点を取るように」という言葉は、着想たちにとって遠い山の頂点を指して「あそこに行け」と言われるのと変わりが無い。

 

これを頭から現在にまで繋げて説明してくれるなら、

つまり良い点を取ればどこへ行けるか、を説明出来れば納得するが、

基礎教育の段階が具体的な達成に繋がりなどしない。基礎なのだから。

 

だから公式にそって答えは分母と分母で、分子は分子と掛け合わせて4/9です、

と言われても、「だからそれが?」となる。へえー、とはならない。

 

であるから、

「数字以外の物を使ってこれを表せ」というような提案が要る。

「言葉で説明する」ことが終着点なのだ。

そしてその根本は、数学を現実世界の物質として理解する、ということであり、

数学は机上の存在でなく、現実と寄り添ったモノだと理解し、

学問全て現実の存在と知る。

 

私だったら、上記の問題に対し、縦横が同じ長さの木片を「一個」用意する。

縦横が同じ長さであれば、縦に①、横に①、を掛け合わせた状態のモノだとも言える。

であれば、縦にこの①を三分割した内の二つ目盛りが2/3で、横も同様である。

木片に縦横それぞれに三分割した線を入れ、直線を伸ばせば、

9個の升目が出来る。そして縦に二つ目の線と横に二つ目の線が作り出す正方形を

色で塗れば、4個の升目が着色される。9個出来た升目の内の4個だ。

2/3×2/3=4/9である。

 

そういうことをすれば、「1」という数字は個数ならまだしも、

長さで考えた時の1cmや1mは、人間が共通の認識として用意した

「単なる仮定」であることが分かる。現に上では①と仮定したのだから。

2/3×2/3=4/9

というのは、1cmをこの長さとして規格した世界ではこれぐらいのサイズ、

として現実に表せる。

 

時間としても表せるだろう。

 

通常の時計は長針が一周すると1時間で、円で言えば360度である。

つまり1×1=1時間×1時間=1時間×360度=1時間。とここでは言っている。

 

1時間×360度を①×①とみて、2/3×2/3=を出す。

つまり前述で縦と横の組合わせで掛け合わせたものを、

ここでは時間と角度によって出す。

 

1時間の2/3は40分である。

ここに40分で長針が一周する世界が誕生した。迷惑な話だ。

(1分=60秒であることは変わらない)

 

秒針は60秒のくせに、長針の一周は40分で1周。ゴミである。

 一日が4/9の世界でしか使えない。

この世界では一日10時間ほどしかないのだから。

 

次に、360度を2/3すると240度になる。

この40分時計を240度回した時こそ、2/3×2/3=と言えないか。

40分時計は1度あたり9分の1フン経つ。3分の20秒だ。それを240かけると、

3分の4800秒になる。1600秒だ。

 

2/3×2/3= とは、

通常の時計の長針が一周するのに比べ、長針40分時計が240度回転する時である。

ちなみにこの長針時計は文字盤が二つある。秒針用と、40分用にだ。二時間で三度回転する。やっぱり要らない。

 

しかし視覚的には説明出来るだろう。

 

実際に通常の時計の一時間、

長針60分時計が360度回るのは3600秒。

長針40分時計が240度回るのは1600秒。

2/3×2/3=4/9=1600秒/3600秒である。

 

長針40分時計の世界では、一日の長さもまた4/9である。

 

「モノで表現する」という目的に沿って、

着想家はこういったことをすべきであって、暗記することではない。

長針40分時計は、着想家しか持って来ない。

(40分時計は面積よりややこしいのでどこか間違いがあるかも知れない)

 

とにかく言いたいことは、

この発想面を評価して貰うことこそ、着想家を育てる仕組みである。

 

それぞれの強みに投資する教育。どうだろうか。