いつものユンボ

僕は考える

ストレングス 最終洞察

これまでの考察でストレングスが

他のストレングスに阻害するケースがあることを見てきた。

 

何故そんなことが起こるのだろう。

 

今日一人で最近気に入りのカレー屋で昼食を摂っている時、

その答えに至る発想が浮かんだ。

 

まず注視すべきは、やはり1番のストレングスである。

 

人は成長する中で自意識を持ち、他者との関係が始まる。

その中で、必ず大きな苦しみにぶち当たる。

それがトップのストレングスを決定しているように思う。

ストレングスファインダーを受けられる年齢は15才以上としているのも、

15才までのどこかで「戦わなければならない苦しみ」と出会うということではないか。

 

つまり、「思春期をどのように乗り越えてきたか」こそ、第1のストレングスなのだ。

 

そこで「基本的な人生の戦い方」を得たのだろう。

武器の芯だとも言って良い。

 

そして、この第1のストレングス、そして「人生の切り抜け方」に

「装飾をする」形で第2以降のストレングスを身に着けていくのではないだろうか。

 

根本的には、第1のストレングスを発揮させることを目的として、

それ以外のストレングスが生まれたとすれば、

1番以外のストレングス同士が喧嘩することも納得が出来る。

 

ではいつものように、彼らの才能の更なる開花を願って、

友人たちについて考える。

 

友人A 親密性(人)、最上志向(影)、着想(思)、共感性(人)、戦略性(思)

人生を「親密性」で乗り越えて来た。

「相手に身を委ねてお互いの関係を探ること」が基本武器である。

最上志向は相手の才能を見抜く。誰と親密になるかを見極める力にもなる。

着想はアイデアの源泉。新たな視点は人間関係を結ぶ中で、

自分を評価して貰うためには必須。親密な関係は頼るばかりでは作れない。また、着想は共通項を見付ける才でもある。

共感性は相手の感情を理解する力。親密性を根幹から支える。

戦略性は行動力の資質でもある。自身が導きだしたパターンを遂行する力は、この様に行動すれば関係を向上させられるという関係を作る技を閃かせるのかも。

こうして第1のストレングスに視点を置いて見れば、彼の最も優れた才は、

「人気を得る力」だろう。

 

タレントや俳優のように正に人気商売というのも良いが、

インストラクターや美容師など、

人気の影響も受ける職業にも適正があるだろうと考える。

親密性を鍛えるための最上、着想、共感、戦略。

『天性』とはやはりこういった装飾された武器だろうと思うが、

その『天性』を現職で発揮する環境を作るにしろ、

新しいキャリアを作り出すにしろ、

自らの強みの中で、まさしく強さに投資するのが良いと思う。

 

 

 

友人B 内省(思)、共感性(人)、成長促進(人)、適応性(人)、ポジティブ(人)

第1に内省。第1が「一人で考える」ことであるというのは、実に不思議だ。

ここまで見てきたように、一番初めのストレングスとは「人生を乗り越える武器」だ。

内省が一番とあれば、「考えることで消化する力」なのだろうか。

アドラ―心理学によれば、人間の悩みの全ては人間関係である。

「純粋な思考のみによって苦しみを自己解決する」というのは、

ある意味でアドラ―心理学の蘊奥を極めたようなものと言えないか。

内省と共感、内省と成長促進、内省と適応性、内省とポジティブ。

思考によって自己解決した考えを、外界との接触によって繋げているようにも見える。

「どのように考えれば苦しまないか」という点において、

力を持っているようにも思える。

だがそれは人と発散することではなく、ゆったりと思考に浸かる方法だ。

であれば、「根幹の考え方を決める討論」において力があるとも見える。

つまり「結論におけるアイデア」がある。着想のような飛び道具的アイデアではなく、

起きたことを如何に捕えるか、というアイデアであり、ともすれば世界の見方である。

「困難を飲み込む才」とも言える。

しかしこの咀嚼力は、苦しみを持った人と対面して悩みを解決する力にはならない。

それは「自らが飲み込む力」であり、「回復志向」ではないからだ。

共感性やポジティブも、「悩み相談」とは相性が悪い。

けれど、彼が思考して出した結論は、

同じ問題を抱えて思考から抜け出せない人には必要だ。

「同じ問題」という限定した対象に関しては、彼は良い相談者になる。

同じ問題であれば、彼は既に消化する方法を知っているため、

それほど重たい問題とは捕えず、またその解決を知っているからだ。

しかもそれは「視点を変えるだけ」という方法に寄っているため、

純粋な思想家とも言える。

重要なことは「相談相手」ではなく「思想家」という点だ。

自らの感情を観察する才能であって、人を救う才ではない。

しかし根本で言えば、自らを救える者は他者も救う。

ブッダが思想によって自らを救い、結果として他者を救ったようにだ。

その自らを救う思考回路を広めることで、人を助けることが出来るやも知れない。

もっと広い範囲で言うなら、

「自らの問題と同じ問題を持った他者を救う才能」であり、

それを多岐に渡って使うなら、まず他者に彼自身が悩んでいること、

あるいはかつて悩んでいたことの「共通点」を見付けることで相手の力になることだ。

「親密性」が無いため踏み込んでの発見に至らないと思われるので、

意図的に今自分が悩んでいることを話題にする必要がある。

それが難しければ、自らの苦しみの解決方法を広範囲に知らせる手段のあるモノ、

も良いかと思う。彼は現在ブログをやってるから、

「具体的な悩み」で「既に消化出来たこと」を発表したら

評判良いんじゃないだろうか。

それか古典宗教の大家となるかですネ。

宗教の根本は死生観で、仏教系は欲望を苦の根源として輪廻転生からの解脱、

キリスト系は終末論による天国での永遠の暮らしだ。

どちらも命が失われることを苦としながら、

前者は命は巡るものとして捕え、生まれ変わる命への執着を捨てることを解放とし、

後者は永遠の命を得るための「資格」を得ることで解放とした。

そのためキリスト系には最後の審判が待っていて、

そこで判断を下すのがキリストとした。

 

もし彼が「命は失われる」という生き物の根本的な苦しみを

新たな視点で自ら消化したら、新宗教、あるいは新宗派の誕生だ。

 

と言っても、新興宗教を別にして宗教発達には時代が必要だから、

それは無いと思うが。

加えて適応性があるから、「いつか死ぬ」というような大きな命題よりも、

今目の前の問題へ意識が向きやすい。

おそらくこの資質が、彼の王道的一般感覚を装飾させたのではないか。

 

 

 

友人C 調和性(人)、適応性(人)、ポジティブ(人)、最上志向(影)、原点思考(思)

 人生を「調和性」で乗り越えて来た。争いから生まれるものは無いと考え、より優れた人がいる場合、簡単に自ら身を引いてしまう。

適応性がある程度まで場を動かす力を持っている。

だがポジティブや最上志向から、端からネガティブ思考な人間、挑発的な人間(責任感や競争性が当て嵌まるだろうか)を相手にすると、

相手を判断する力があるので、遠ざかる。

その判断力を得るための最上志向だろう。その的確な評価が、

自らの調和性の中で、あの人が優れているなら自分がやらずとも、と流れかねない。

原点思考も個々人の素質を見抜く力であり、

「この人物は場を乱すか否か」を瞬時に作動させる。

仲裁する力によって調和を得るより、

相手を正確に判断し、自ら選ぶことで調和を得てきたのではないだろか。

 

そういった意味で言えば、摩擦の少ない人員采配には天分があるだろう。

「争いにまではならない」という組合わせで他人と他人を会わせるのには、

何の苦労も無いハズだ。

 

通常、他人と他人を会わせることなんて滅多にしない。

だが私は彼にそうされた経験が何度かある。

 

それは置いておくとして、人と人が起す反応の予測力があるということだと思う。

そういう意味ではパイプ役として重要である。

相手を見抜く力を持って、

自分が出来ないことは人を誰かに紹介することで達成する、

人材発掘などの要素に目を向けると、力を発揮出来るかも知れない。

 

 

 

さて、数回に渡って考察してきたストレングスファインダー。

私が考える範囲では、この第1の武器、

そしてその装飾たちという見方が、一つの到達点であるように思う。

最後にこの視点から、自己分析を行って終わりたい。

(ワザワザ発表するものだろうかとは思うが)

 

私、戦略性(思)、慎重さ(実)、未来志向(思)、着想(思)、内省(思)

人生を「戦略性」によって乗り越えて来た。自問自答とパターンの分析である。

友人Bの「内省」と似ているが、彼は自らの思想であって、私は外部の理解だ。

戦略性は、”他の人が「もう解決方法など無い」とあきらめている状態でも、自然と解決方法を見つけ、人を成功へと導くことができる。”とあるが、ここに回復志向が無いことを考えると、基本的には「自身が理解する」ことを最も強い命題にしているのであろうと思う。

たぶん、こうして友人たちに対して書いているのも、まずは「自分が彼らを更に理解すること」であり、「彼らを救うこと」ではないハズだ。

慎重さも、未来志向も、着想も、内省も、全ては「誰もがまだ理解していないことを発見し、理解すること」であって、彼らを助けることに強みを発揮したのではなかった。

(でなければ彼らの分析に30時間も使えるだろうか。

もちろん友人を慮る気持ちが無いという意味ではない。

尋常を越えた力の入れようという意味だ)

 

そもそも根本的に言って才能とは、

「まず初めに自分が自分を救った手段」のことではないかとも思う。

「自分が自分を救った方法で誰かを救う」ことが、

才能の正体 ではないだろうか。

 

 

このブログの読者は主にその友人たちであるから、

ここで顕わにしてきた「理解」というものが、広く知られることはないだろう。

だがそんなこと私に言わせればどうでもいい。

友人たちには伝わっただろうし、私も理解したのだから。

 

私だけが理解出来ていれば良い。

そして仲の良い数人の友人たちだけに、その分析の価値を共有して貰えれば良い。

 

このストレングスの分析は、戦略性の対象の問題と本質を理解する、

という点のど真ん中だったのかと思う。

 

しかし私のストレングスも「合体事故」を起している。

戦略性は本来”自身が立てた計画を遂行・実行する行動力に優れる”モノだとしている。

だが私の「着想」が「良い発想が生まれないと飽きる」を引き起こして、

面倒臭がりにしている。

「アイデアの瞬発力」には友人Aに敵わずとも、それなりに自信がある。

自信があるだけに、「アイデアの出なかった日/アイデアを必要としない日」

は退屈の極みだ。それも私は「理解する」ためのアイデアだ。

 

何についても、足が遅い。

このストレングスファインダーを掌握するのにも、五日ほどかかってしまった。

 

 

その分だけ、畏友たちの糧となれば幸いである。

また折りを見て一緒に食事しましょう。