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僕は考える

辛口辛辣映画評 言の葉の庭 ネタバレあり

君の名は。によってビッグネームとなった新海誠の一つ前の映画、言の葉の庭

公開当時友人を誘って観に行った後、何度も何度も繰り返し観た。

私が繰り返し観る映画は、本当に好きな映画か、

もう少しこうしておけば……と悔しくなる映画だ。

言の葉の庭は後者だ。

 

物語を端的に言えば、

靴職人になりたい高校生が自分の通っている学校の教師と知らずに、

学校外で出会い、交友を深めていくという話。

 

冒頭、雨の日、学校をサボった主人公が新宿御苑に行く。

そこで一人の年上の女性と鉢合う。会話はせず、主人公は靴のデッサン、

彼女はチョコレートを肴に昼間からビールを呑んでいる。

ふと「どこかでお会いしましたか」と尋ねる主人公。

彼女は「いいえ」と一度は答えるが、主人公の制服姿に、

自分が勤める学校だと気付き、「合ってるかも」と訂正。

その後、短歌を意味ありげに詠い、傘を差して去って行く。

 

ここまでで彼女が主人公の通う学校の教師とはまだ示されていない。

彼女は一体何者か、というのが本筋の一つである。

 

彼女が教師だと知っていると、ガッカリな作りになっていることに気付く。

初めて観た時は良い始まりだと思ったが、全体を知っていると粗さが目立つ。

 

観客に伏せておく情報というのは、発覚した時に驚きを与えなければならない。

「彼女は教師だった」

何の驚きもないではないか。

 

しかもここには様々な設定的疑問がある。

いくら不登校気味な生徒と言えど、教師の顔の分からない生徒などいるものか。

彼女が休職している間に主人公が高校生になったというのならまだ分かる。

だが彼女が教師と判明した後、友人が「お前のクラスの古典、竹原じいだったか」

と発言している。

他のクラスの古典の担当は彼女だったということだ。

季節は梅雨、主人公は高校一年生。入学式やらオリエンテーションで顔を見たハズだ。

しかも入学から二ヶ月の間に休職騒ぎがあったとしたら、尚更目立って相手の顔を覚えているハズ。

 

雨の新宿御苑で出会ったミステリアスな年上女性。

これがやりたいがためにそういった疑問をすっ飛ばした。

そこに魅力があるというのは分からないでも無いが、

ミステリアス部分に驚嘆する事実が無いと台無しである。

 

これならいっそその魅力を捨てるか、

「彼女は教師だった」を止めてしまうかした方が良かった。

もしくは入学早々に主人公側を何らかの病や問題で長期休学させるべきだった。

そうすれば彼女は教師だった、という手段を使えるだろう。

 

それに、二人が互いに学校での関係者であることを知らない方がいい。

お互い私服で出会って、互いに何も知らない関係の方がいい。

というのは、女教師側から「こいつは生徒だ」という事実が分かっていると、

彼女が「雨の日になったらここで会う」という理由に繋がらないからだ。

生徒と問題になって休職に追い込まれた彼女である。

そんな人が自分の働いている生徒と知って、会話を続けようなどと思うだろうか。

 生徒と話すことでリハビリに努めようとした、という考えも出来ないではないが、

それにしても軽薄さが目立つ。

 

振り返って見ると、映画冒頭で主人公は兄から「老けて見える」と言われている。

いっそ互いに知らぬままに仲良くなって、

恋人になるまで一度突っ切ったほうが良かったんじゃないか。

それで女教師から「何歳?」と聞かれて、

「大学一年」とでも噓をつけばよかったのである。

 

これを両視点で順序よく描いていけば、観客だけが知るいずれ来る破綻を描けるので、夏休みが終わって廊下でバッタリ出会う、

というさして驚きの無い演出も、事実を知っている観客だけがドキドキとして

「ああ来るぞ、もう来るぞ、うわぁあああ」といった感じになるんじゃないかな。

 

それかミステリアス路線を捨てて、

初めのコンタクトで「先生」と正体を発覚させたほうがいい。

これだと両者を雨の新宿御苑に惹き付ける理由が無いが、

従兄同士であってお互いに相談してるとか、

雨の新宿御苑に行くことそのものに理由を付ければ良い。

 

ともかく初めの設定が破綻している。

それさえなければ、絵の綺麗さや(構図は微妙だが)、

若くて進んでいく道が遠い人と、

それなりに年齢を重ねてどこへやって来たのか分からない人が接点を持つことで、

どちらも前に進む(交わりはしない)という大枠の確かさもあって、

良い映画になったろうに。

 

もう一つ大きな問題がある。

45分50秒の映画でここまでやるというのは一つの挑戦だったろうが、

その短縮方法をモンタージュとナレーションの多用によって行うのは悪手だろう。

 

この尺で構成するなら、子ども向けの映画や、連載海外ドラマ第一話などを参考にして考えたほうが良かったと思う。

子ども向け映画は長くても一時間以内だ。

子どもが集中を切らしてしまうから、尺が短いのだろう。

連載海外ドラマは視点を大きく二つに別けて、

20分尺を二つ乗せる手法によって成り立たせている。

 

モンタージュとナレーションに頼るものだから、

「二人が仲良くなっていく」という大事な過程までダイジェストになっている。

どういうことを切っ掛けに仲良くなったか、は重要なシーンなのに、

既に仲良くなった後での一コマを描いているものだから釈然としない。

「サボるのは雨の午前中だけにしようと決めてるんです」

「じゃあまた会うかもね、もしかしたら雨が降ったら」

暮らしの息抜きに自然の多い場所へ逃げて来た二人が新宿御苑で会うのは必然だが、

この台詞を切っ掛けとして始まったのに、

本当に雨の日に相手がそこに居るか、という第一歩を描かないのは怠慢だろう。

そういうことを積み重ねた後で、「気付けば雨を待っている」と流れないと腰砕けだ。

更に問題なのは、「もしかしたら雨が降ったら」と本筋を言葉にして、

ナレーション「その日が、関東の梅雨入りだった」と聞こえてくるが、

その言葉の終りが9分57秒で、ここを切っ掛けにピアノ(独奏?)のBGMが流れる。

この曲が12分54秒まで続く。

その間、モンタージュとナレーションの繰り返しだ。

長い。あまりにも長い。長い音楽は映像も長回しした方がいい。

長いBGMにモンタージュとナレーションは辛すぎる。

それにこのBGMが良いとは言えない。そこそこでしかない。

しかも表題を出した時に使った曲のモチーフと同じだから、

タイトルコールの二回目が来た、みたいな感じがして気持ちが悪い。

話が再スタートしたみたいだ。

「桃太郎、始まり始まり~」と言っておいて、

「婆さん、桃から男の子が出たぞ」

「二人は、この子に桃太郎と名付けました。桃太郎、始まり始まり~」

とやるようなものである。

「さっき言うたがな!」とツッコミが聞こえてきそうだ。

 

演出面でも終止気になっていた。

女教師の生活の中での苦労を描く、場面で、

「ファンデーションが割れる」というのがある。

 

私は男性なので、

なるほど、ファンデーションが割れるというのはそれほど嫌になるのかと思い、

「ファンデーションが割れた」で検索して人々の怒りのほどを調べてみようとしたが、

それで出てきたのが「割れたファンデーションが元通りに復活!」である。

 

戻るんかぁあああい!!

 

なのに顔に手を当てて「はぁ」だなんて、大袈裟すぎやしないか。

もう二度と手に入らない物が壊れた、みたいなリアクションだ。

ファンデーションケースをそっと閉じてから、

虚空を見つめたままほうが良かったんじゃないか。

その心中は「くっそ面倒くせえ……」である。その方が真に迫っている。

 

しかもそのシーンは長回しBGMモンタージュ&ナレーション第2段、

19分24秒~24分54秒の最中だ。第1弾より長い。

「巴里のアメリカ人」のあのミュージカルシーンくらいある。

 

長々と文句を連ねてきたが、それでもこの映画が観賞に堪えうるのは、

制作者の「こういうモノを描きたい」という情熱がありありと感じられるからだ。

それだけでも大いに価値がある。

 

だが文句はまだある。

 

主人公が相手を教師と悟るのは(観客に教師と提示するのは)26分ごろ、

つまり映画の後半である。驚愕の事実というほどでもないから、

これは単なる説明に過ぎない。

映画の後半での新しい状況説明は褒められたことではない。

 構成として破綻している証拠だ。

 

また、主人公が靴職人を目指す切っ掛けになったと思われる、

過去の回想、夢についても一言ある。

主人公が父と兄と買った靴を母に渡す場面。

プレゼントの箱を母が開けるのを幼い主人公が観ているところだ。

主人公の父親がこの夢の中で出て来るが、現在の家には居ない。

死亡したか離婚したかは定かで無いが、

ここで「靴をプレゼントされて喜んでいる母を見ている父親

を見ている主人公としては描いていないから、

靴を作ること自体が過去の原体験を追うというものではなく、

ただ綺麗だった、という場面になっている。

もちろんただ綺麗な靴に心を奪われた、というのも良い。

だがどっちとも取れそうな立ち位置で場面を作るのは良くない。

 

ただ綺麗な靴に心を奪われて目指すことにした、

というなら別の描き方があったように思う。

 

なんにせよ、靴職人を目指している理由付けを、

その夢のワンシーンに全て預けてしまうのは乱暴だ。

乱暴だというのは、動機の描き方もそうだが、

靴職人を目指すに当たっての主人公の現実的な困難が余りにも不足している。

 

物語の本筋のもう一つが、女性の靴を作るという部分だ。

しかも「誰のかは決めてない女性の靴」である。

これが物語の中盤すこし手前でやって来る。

ハッキリ言って遅い。こんなところでこの手札を出してくるから、

靴を作っても作っても出来上らない、という過程を描けないのだ。

だったら初めの出会いで短歌うんぬんやるより、そこで本筋に入れば良かった。

 

(チョコーレトとビールって、でもこの人どこかで……)

「あのどこかでお会いしましたっけ」

「いいえ」

 

の後で、靴のデッサンを女教師が覗き見て、

その後に出て来る「靴職人?」「現実味が無いことは分かってるけど、ただ、靴の形を考えたり作ったりするのが好きなんです」

に繋げて、どんな靴を作っているのかという流れにして、

冒頭から「モデルになって欲しい」とでも始めたほうが分かりやすい。

 

 

最後に、ラストシーンについてだ。

まず最後のセリフのやりとりを書きだしてみよう。

 

「雪野さん、さっきのは忘れて下さい。俺、やっぱり貴方の事嫌いです。最初から貴方は、何だか、嫌な人でした。朝っぱらからビール飲んで、訳の分からない短歌なんか吹っ掛けてきて、自分の事は何も話さないくせに、他人の話ばっか聞き出して、俺の事生徒だって知ってたんですよね。汚いですよそんなのって、アンタが教師だって知ってたら、俺は靴の事なんて喋らなかった。どうせ出来っこない、叶いっこないって思われるから。どうしてアンタはそう言わなかったんですか。子供の言うことだって、適当に付合えば良いって思ってた。俺が何かに、誰かに憧れたって、そんなの届きっこない、叶うわけ無いって、アンタは最初から分かってたんだ。だったらちゃんと言ってくれよ、邪魔だって。ガキは学校に行けって、俺の事嫌いだって。アンタは、アンタは一生ずっとそうやって、大事な言葉は絶対に言わないで、自分は関係無いって顔して、ずっと一人で、生きてくんだ」

「毎朝、毎朝ちゃんとスーツを着て学校に行こうとしてたの。でも怖くて、どうしても行けなくて、あの場所で、私、貴方に、救われてたの」

 

ここで言ってる「誰かに憧れたって叶うわけない、アンタは最初から分かってた」の部分も、「貴方に救われてたの」もダイジェストシーンの中だよ!

言うなら描きなさい! 唐突! あまりにも唐突!!

 

秦基博による大江千里 カヴァー「rain」の入りタイミングは最高でした。

(あまりにも唐突な終り)