いつものユンボ

僕は考える

桂春蝶さんの炎上発言について考えた

落語家の桂春蝶さんが炎上しているので、それに対して思ったことを書きます。

問題となったツイッター上での中心的な発言は以下の三つ。

 

世界中が憧れるこの日本で「貧困問題」などを曰う方々は余程強欲か、世の中にウケたいだけ。 この国では、どうしたって生きていける。働けないなら生活保護もある。 我が貧困を政府のせいにしてる暇があるなら、どうかまともな一歩を踏み出して欲しい。この国での貧困は絶対的に「自分のせい」なのだ。
さっきの投稿に痛烈な批判が多かったんだけど、まあ仕方ない。 分かりにくい内容だったから。 言いたかったのは、人は生まれながらに苦悩を抱えていて、だからこそ生きられるこの世界は奇跡の連続で、感謝して歩むべきだという福音だったの。 そしてその環境がこの国は整っている…そう言いたかった。 

僕は20歳から10年間、家賃2万円台のアパートで住んだ。それでも金がなくて、家賃を滞納したりした。当時は仕事が本当になかったから。 ほとんど毎日がチキンラーメンかコーンフレークやった。 それでも生きれた。 芸人風情でも何とかやっていける日本は素晴らしい。 これ以上この国に何を望みますか?

 

言わんとすることを私なりに要約すると、

・日本は社会福祉制度が整っているから貧しくても生きていける

・最低限の保障がされているので、貧しさに負けず「まともな一歩」を踏み出せる

・よって貧困から抜け出せないのは個人の怠慢

・貧しくても生きられるということに感謝して、自分の力で貧困から抜け出そう

・その具体的な例として、自分の過去を提示(家賃滞納、乏しい食事)

 

言うなれば貧困で苦しんでる多くの人間へのアドバイスでしょうが、顔も知らぬ相手に「あなたの努力不足」と伝えることに一体何のメリットがあるんでしょうか。
 
個人的な付き合いのある相手に厳しく言うことは意義もあるでしょう。相手の反応を見ながら、言った言葉がどう影響し、今後の行く末も見守ることが出来ます。

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。

という有名な言葉があります。

春蝶さん自身の過去の提示が「やってみせ」になっていると考えたとして、上記の発言を「言って聞かせた」とするとしても、そのツイートを見た人たち全員に身近で「させてみる」ことも、「ほめてやる」ことも出来ません。

つまり人を行動させることは出来ません。それはその言葉を伝えた人が傍に居ないからです。

人間が抱える苦しみは自分自身でも根気よく向き合う以外になく、他者の苦しみに言及するならやはり根気よく付き合う以外にありません。

言いっ放しのアドバイスに意味がありますか。

 

また、

『世界中が憧れるこの日本で「貧困問題」などを曰う方々は余程強欲か、世の中にウケたいだけ。』と書かれていましたが、本当そうでしょうか。

 これは私の想像ですが、春蝶さんが貧しい時代には、貧しさと根気よく向き合い、長く付き合ってくれた他者が居たんではないでしょうか。

「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてくれた相手」です。

「だから頑張れた」「だから貧困から抜け出せた」ともし仮定するならば、経済や食料の面で極貧ではないから貧困問題はない、というのではなく、頑張ることが出来ないほど孤独だから問題なのではないでしょうか。

 

もちろん、人によってどうして努力してこられたかは違います。

ですが、SNSの相手は長く見守ることが出来ない相手ですから、春蝶さんには「どうして自分が貧困から抜け出せるほど頑張れたか」の理由について語り、どうやってその環境を手に入れたかを言葉にして頂いた方が、言いっ放しのアドバイスより有益だったのではないかと思います。

 

ここまで書いて今更になりますが、私は落語が好きです。

好きといってもテレビやDTVの落語動画を見るくらいで、寄席には一度も行ったことがない程度ですが、落語家は機知に富んだ方々というイメージが何となしにあります。

そのイメージが若干でも崩れるようなニュースで、どんな業界にも色々な人がいるとは分かっていても、少し残念に思いました。

 

以上です。